僕は生成AIもWebもITも、マーケティングもSNSも生業にしています。
にもかかわらず、発信の重心を最後まで動画全振りにするつもりがありません。むしろ逆で、時代がここまでデジタルに振り切ったからこそ、僕は文章を書く側に重心を置いています。
動画が嫌いなわけじゃありません。僕自身、243日間ほぼ毎日、顔出しや実験動画をInstagramをメインで発信してきました。
Instagram→ZENのInstagram
時代の歯車に合わせるためです。
頭の固い経営者や事業者ほど「SNSはね…」と目を背けたがるんですけど、逃げたらダメ。
得意不得意はあれば上手い下手もある。
それに簡単か難しいかもある。
そういう事情はたしかにあるが、年齢を重ねると人は思考が固くなるし、プライドという便所のネズミのクソに匹敵する無駄で不毛な感情まで芽生えてきます。本人は立派な鎧のつもりでも、外から見たらただ重たいだけです。
なので、変なプライドのせいで発信に枷がかかっている人は早めに外しましょう!
しかも今の時代でいくとSNSをガチるのは本気で仕事に向き合っている姿勢でもあります。
それにもかかわらず、義務感だけで触って、我流で、ただ更新している人が多すぎるなと。
僕は起業したての人間や、事業を立ち上げたばかりの人間の動きを見るのも仕事の一部です。AX顧問の中で、そういう人たちを日常的に見ています。
だから発信の温度や薄さが嫌でも見えるんです。
動画は入口、文字は本音が残る
AIの登場でSNSの参入障壁はガクッと下がりました。
文章も画像も動画も、今は生成AIである程度の骨組みまで一気に作れます。
土台も作れる。
だけど、作れることと成果が出ることは別の話です。
ここを混同している人が多すぎるんですよね。
みんなAIを使います。今後はもっと使います。
ただ正直なところ、AIの技術が高くない人が大半です。
そんな連中が一斉にAI頼みで作った発信に、人の心が動くのかって話なんです。最近は見る側も目が肥えてきて、「AIっぽいな」が普通に伝わる時代に入っていますしね。
僕みたいに毎日AIに触っている側から見ると、もっと露骨です。
文章を見れば、どのAIを噛ませたか何となくわかる
画像を見れば、どの画像生成っぽいかわかる
動画なら、あの動きはあのツールだなと普通にわかります
大げさでも何でもなく、僕は2022年11月30日から今日まで毎日8時間から10時間以上AIに触ってきました。人に教えてお金をもらって、セミナーや登壇依頼を受けて、大勢の前で喋る場面も珍しくありません。
毎日そこまで触っていたら、嫌でも見えるようになりますからねw
職業病みたいなもんです。
だからといって動画発信を軽く見て文章に逃げているわけじゃありません。
動画の強さも怖さも、嫌というほど知っている側です。
格闘技系AIのYouTube関連動画は1か月で50万再生以上、TIKTOKでは100万再生以上、Instagramでは別ジャンルで180日間毎日更新して1日も1万再生を切らず、6か月で3664万再生以上に到達しました。
フォロワーも1万人以上獲得したからこそ、
入口としての動画がどれだけ強いか、身をもって知っています。
ただ、動画系SNSは基本的に結論ベースです。
・冒頭で掴めなかったら離脱される
・早く伝える
・強く見せる
・わかりやすく切る
媒体の性質としてそこは避けられません。
だから入口としては控えめに言っても最強です。
で、文章は違います。
僕が500日以上ほぼ毎日書いているAIハック書き起こしも、SEOやAIOの対策はしているものの、基本は望んで見に来てくれた人に届く発信です。
流れてきたから一瞬で消費される構造じゃない。
読む側にも少しだけ覚悟がいる、その代わり動画以上に細かく説明できるし、思考の途中や背景や痛みまでぶっ刺すことができます。
僕が歩んできた軌跡や歴史も同じです。
自分の経験を、丁寧に培った歴史を、文脈ごと人に渡せる。
僕は文章以上に美しい表現方法を知りません。
AIは平均化したことで中身が問われる
今の発信環境を見ていて強く思うのは、制作物のレベルが急激に上がって、クオリティが平均化した結果、中身の価値は下落したという点です。
AIは便利です。便利どころの話じゃない。骨組みを作る速度も、整える速度も、人間だけでやる時代とは比べものになりません。
AIというのは基本的に平均化の装置です。
凹凸のない結果を出しやすい。
もちろん、プロンプトを扱う使い手のレベルによって化け方は変わります。
けど、頼れば頼るほど自分のMPに見合っていない魔法ばかり使う人間も増えます。
派手な魔法は撃てるし、見た目も整うし、言い回しも賢そうに見える。
ただ、地力が弱いままだと中身は脆い。
発信も同じでAIで整えた文章、AIで整えた画像、AIで整えた動画、全部それっぽい。
でも、何度も見たら空洞が見えてきます。
・言ってる中身が浅い
・体温がない
・積み上げがない
借り物の魔法だけで戦ってるのが丸見えなんですよね~
だから今後ますます問われるのは、何を言うかだけじゃない。
誰が言うかです。
多くの人が耳にしたことのある言葉だと思います。
ですがAI時代に入ってから、「誰が言うか」という言葉の重さは何倍にもなったと僕は見ています。
何を言うかの部分は、AIがいくらでも整えてくれる。
整うほど、発信者本人の輪郭が問われるってことです。
これはビジネスの面でも同様ですね。
誰でもデキることを淡々とやるのはAIで代替できますし、ベルトコンベアの一部のような働き方、指示待ち人間のようなビジネスマンは今後さらに淘汰されてくでしょう。
で、少しトゲのある言い方になっちゃいますが個人的にはAIでなくなる職業は無くなった方がいいし、AIで失業者になるなら、そこまでのレベルの人材だっただけの話です。
本物であれば消えません。
消えるのは中間層から下です。
甘い慰めを配る方がよほど残酷なのだから
人は最後に文字へ帰る
今後は個が試される時代です。1人1人の地力で幸せにも不幸にもなる。
差が広がる時代に入ると思っています。
デジタル化は止まりません。
ならば逆らうより、相乗りして上まで昇った方が有意義です。
動画もSNSもAIも、全部乗ったらいい。僕もそうしています。
ただ、相乗りした先で最後に残るのは、結局また人間なんです。
何を見てきたか
何を積み上げてきたか
何を捨ててきたか
何に傷ついてきたか
どれだけさらけ出してきたか
そういう輪郭は、結局最後は文字に出ます。
動画は勢いを見せられるが文章は素性が出る。
だから怖いし、だから強いんです。
人は最終的に文字に帰る。意味わかりますか?
派手な映像や短い結論で満足しているうちは、まだ入口です。本当に誰かを信じたくなった時、人は履歴を見にいく。
背景を読みたくなる。
何年かけて何を積んできたのか知りたくなる。
最後に読まれるのは、切り抜かれた一瞬ではなく積み上がった文脈です。
だから僕は文章を書き続けます。
今後5年、10年書き続けて、自分の歴史を文脈ごと渡していきます。
自分をさらけ出すやつは強い。
僕はそう思っていますし、本当に人間力と地力が試される時代です。
結論、超デジタル時代に僕が文章を書く理由は、時代に逆らいたいからじゃありません。
時代を深く理解した上で、最後まで残る価値がどこにあるかを見ているからです。動画は入口として使うし、AIも武器として使う。
SNSも全力でやる。
ただ、最後に信頼を積み上げる場所は文字だと僕は思っています。
人は最終的に文字へ帰るし、本物しか残らないってハナシ(^^)


